皆さんこんにちは、トンプソンです!
本日は少し変わって、私の陸上競技を通して経験した重要な事を皆さんにシェアしたいと思います!
私は中学~大学までの約10年間、陸上競技をやっておりました。
(大学時代もサークルではなく体育会の陸上競技部だったのでガチでした。)
その中でも、私が専門種目としていたのは400mハードル(通称4パー)です。
陸上競技をやったことがある人も、やったことがない人もわかると思いますが、
陸上競技で最もきつい種目である400m + ハードル
という、いったいどんなドMの人が考えたんだ!!と言いたくなるような種目です。😅
実際私も、400mハードルを走る前、スタートラインに立った時は、
「なんでこんな種目を走らなきゃいけないんだろう」
と何度思ったことでしょうか。汗
しかし、私はこのきついきつい種目を通じて、ある重要性に気が付いたのです。
それは、ニッチ市場を狙う重要性です。
どういう事なのか、私の経験を踏まえて本記事で解説していきますので、是非最後までご覧ください!
陸上で専門種目を変更したらプチ成功した経験から得た教訓
そもそも「ニッチ」という言葉の意味は、「隙間」や「くぼみ」を意味する言葉で、他者が未開拓な領域の事を意味します。
本記事ではもっとわかりやすく「ライバルが少ない」というニュアンスで使っていきます。
私は学生時代に陸上競技で競争が激しい100m競走からライバルの少ない400mハードルに転向して、少なからず実績を出したことがありました。
ライバルが少ない分野で勝負するということは、スポーツの世界だけでなくビジネスや様々な分野において重要な戦略であると認識しております。
そんな重要性を、私の陸上競技の経験から振り返ってみたいと思いますので、皆様最後までお付き合いくださいませ🙇
私の陸上競技の経歴
110mハードルを専門にしていた中学生時代
もともと私は、中学生時代に110mハードルを専門種目としていました。
小学校の頃の市内対抗の陸上大会で、なんとなく始めたハードル種目でしたが、足を上げてスムーズにハードルを駆け抜ける姿に「かっこいい!!!!」と感じました。
それから中学に入学すると、陸上部に入部するのですがここでも専門種目を110mハードルにしました。
高校時代
時は経ち、私は地元県内の陸上競技の強豪高校に進学をしました。
単純に「陸上で速くなりたい」と感じたからです。
しかし私は、中学で専門にしていた110mハードルをやらずに、人気の高い100mを専門としていました。
理由は、「ハードルの高さ」にありました。
中学生が行うハードルの高さは「91.4cm」と公式に決まっています。
しかし、これが高校になるとプロの世界と同じ「106.7cm」になります。
身長の高くない私は、中学時代のハードルは高さ的に丁度良かったのですが、高校の高さはとても飛べません。
なので、「高校に入ったら種目を変更しよう」と自然な成り行きで決めていました。
しかし、私が入学したのは県内でも有数の陸上強豪校。
県チャンピオンでインターハイに出場した先輩、リレーメンバー常連のチームメイト、さらには中学時代に全国大会で入賞した経験を持つ特待生で入学した同期もいて、中学時代に県大会すら出場したことのない私はとても歯が立ちませんでした。
そのまま、高校2年生まで時が経ってしまいました。。。
自分の強みに気が付く
高校2年生になり、100mの自己ベストは上がっていたものの、各校で3人までしか公式試合に選手登録できない陸上競技の世界では、私は落ちこぼれな存在。
そんな私には、唯一輝ける場所がありました。
それは、
ウォーミングアップのジョギングです🏃♂️
は?😅と思う方もいるかもしれませんが、私はジョギングが得意でした。
私の高校ではウォーミングアップに10分間のジョギングを行うのですが、ラスト2分になるとペースを上げていき、ウォーミングアップなのに本メニューみたいな練習状態になってみんなガチで走ります。
ほとんどのチームメイトが置いてけぼりになる中、私は毎日先頭集団に食らいつくことができました。
先頭集団は400m競走を専門にしているチームメイトがほとんどで、県大会入賞やインターハイに出ている選手ばかりでした。
そこで私は気が付きます。
「あれ?俺って長い距離なら負けてねぇ」と。
思い返せば、中学時代から私はハードルや短距離を専門にしていたものの、長距離の大会ではいつもトップで、長距離を専門にしているチームメイトにいつも勝っていました。
そしていつの間にか市内駅伝大会の学校代表にもなり、エース区間を走っていました。
中学時代の駅伝の練習の際に、たまたま市内の高校と合同練習をさせて頂く機会があったのですが、高校生の練習にも遅れることなくついていけた私は、当時の高校の顧問から、
「トンプソン君がもしうちの高校に来てくれたら、お前を関東大会で優勝させてやる。」
という半分スカウトチックな言葉もかけてもらいました。
(公立高校だったのでスポーツ推薦が無く自力で受検するしかありませんが😅)
そうや、俺って短距離専門だけど長い距離も得意やな!!と思い出すのです。
そんな私を見ていた当時のチームメイトが私にこんな言葉をかけてくれました。
「トンプソン、お前長い距離得意だし中学の時にハードルもやってたんなら、4パー(400mハードル)やれば?」と。
これを受けた私は当初「いやいや、高校2年生にもなって専門種目を転向してもうまくいかないって😅」と感じておりましたがこれ以降、私の頭の中に4パーがちらつきます。笑
高校2年生の県大会(もちろん私は未出場で選手のサポート要員)で、4パーを走って関東大会出場を決める先輩と後輩を見て、
「あぁ、4パーか。やっぱハードルってかっこいいな。俺も4パーやったら県大会に行けるのかな。」
と感じるように。
そして、この県大会終了後に私は、当時の顧問の先生に宣言します。
「自分、4パーに種目を変更します!」と。
400mハードルに転向
突然顧問にこんなことを言ったので、当然ながら「ハードル飛べるのかよ?!」と言われましたが、「中学の時にやっていたので問題ないです」と言ったら「おぉ、そうか」と納得してもらいました。
先程私は、ハードルの高さが高すぎて110mハードルを辞めたと書きましたが、400mハードルの高さは91.4cmという事で、私が中学時代にやっていたハードルの高さと全く同じなので問題ありませんでした。
当然練習し始めたころには、全くうまくいかず記録会でも全然記録が出ません。
「やっぱりきついな」と感じていましたが、ある練習であるチームメイトから「スピードに全然乗れていない」と言われました。
私は「ハッ!」と気が付きました。ハードルを越えることとハードルとハードルのインターバルを気にしすぎて加速していませんでした。
「そうや、この4パーはあくまでも短距離(陸上競技の世界では400mの距離までは短距離に分類されます)だからスピードを出さないと!」
そう気が付いた私は、スピードを出して加速することを意識しだし、チームメイトからも「ずいぶんスピードに乗れるようになったね!」と言われたので「これはいける」と思いました。
人生初出場の県大会で決勝に残った!
4パーを始めて4か月がたったころ、9月になり高校スポーツでは新人戦の時期になりました。
順調に練習を重ねた私は地区大会を3位で通過し、そのまま人生初めての県大会に出場が決定。
当時の県内のランキングでも約50人中8番目に速いタイムでした。
県大会当日でも、ほとんどの選手が私より身長が大きかった(4パーは身長がある程度あった方が有利)のですが、
「あぁ、この人達って俺より身長高いけどほとんど俺よりタイム遅いんだよなぁ。。」
という優越感で自分を鼓舞し、何とか県大会の決勝に進出して8位に入賞しました。
人生で初めて県大会に出場して、決勝まで進出したのは悪くない出来でした。
翌年、高校3年生のラストシーズンになり、インターハイ出場をかけた学校総合体育大会でも4パーで出場した私ですが、この時も県大会の決勝まで行きましたが、昨年と同じ8位となりインターハイへの道は閉ざされました。
大学時代
大学にはスポーツ推薦を使わずに一般受検で入学して体育会陸上競技部に入部しました。
(県大会で入賞していたのでスポーツ推薦の資格がありましたが、所詮県大会8位でスポーツ推薦を使うのはなんだか恥ずかしいな、と感じていたらいつの間にか出願期間を逃していました😅)
大学時代は怪我などいろいろ経験するのですが、4年生のラストチャンスで関東インカレに400mハードルで出場することができました。
経験から学んだこと
ここまで長々と私の陸上競技における経験を話してしまいましたが、大事な事は、
ニッチ市場を狙う
という事です。
私が高校当初に行っていた100m競走は、陸上競技の中で最も競技人口が多い種目です。
陸上競技に興味がない人でも「オリンピックの100m決勝だけは見る」「陸上詳しくないけど、ボルト(100mと200mの世界記録保持者)は知ってる!」という方もいるように、100m競走は世間体に人気の高いスポーツ種目です。
競技人口が多いという事は、それだけ競争が激しいという事です。
競争が激しいという事は、トップを目指すことが難しいという事になります。
しかし私は、あまり人気のない400mハードルというニッチな種目に転向したことによって、100mよりは競争が激しくない環境にいました。
そして、少なくとも県大会の決勝に2回行くことができたし、大学でも関東インカレに出場することができました。
「所詮、県大会止まりじゃん!」
「全国大会行けてないじゃん!」
という声も聞こえてくるかもしれませんが、もし私が高校3年間を100mの選手として続けていたら、間違いなく県大会すら行けてなく、そもそも高校の公式メンバーにも選ばれていなかったでしょう。
だからこそ、ニッチ市場に作戦変更するという事はとても大事な事です。
スポーツに限った話ではない
これは、なにもスポーツに限ったことではなく、ビジネスにも言えることです。
近年では起業する方が増えてきておりますが、現代の日本においてはある程度の産業だったりサービスは既に確立されており、飽和状態にあることも多いです。
なので、これから起業しようと考えている方は、まだ開拓しきれていない分野=つまりニッチな市場を開拓してビジネスを組み立てていく必要があります。
企業だけでなく、個人でも同じことが言えます。
終身雇用が終わっていくこれからの日本。
今後は個のスキルを磨いていく必要があります。
最も簡単な考えとしては、スキルを掛け合わせるという事です。
例えば、
「営業スキル×英語力」
「プログラミングスキル×英語力×フリーランスでやっていける交渉力」
みたいな感じで、自分の持っている得意としているスキルを掛け合わせて、より希少価値の高い人材を目指すことが重要となってきます。
私が学生時代に学んだ、ニッチ市場を狙うという教訓。
これからの人生においても生きてくる教訓だと確信しております。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
ニッチ市場を狙うという事は、生き残るうえで、上に行くうえで大切な事の1つだと思っております。
積み上げてきたものをリセットして1から始める事だったり、変化することはなかなか踏ん切りがつかないと思いますが、踏み込んでみると案外うまくいくものです。
この記事が皆さんのお役に立てたらうれしいです。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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